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2017年05月30日
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車の免許。

2016年10月16日
実はこの歳になるまで運転免許を持っていなかった湯月。田舎住まいにあるまじき。
 なので人生の夏休みを利用して、教習所に通ってきました。今は学生時代よりも余裕あるしね!(経済的に)
 そんなわけで、教習所~免許取得までの思い出を綴る。

1.第一段階
 学科。何と言っても知識ゼロ状態からのスタートだったから、始める前は「標識を覚えるの面倒臭そうだな」くらいに思っていた。が!実は標識は楽勝で、それ以外の決まり事のほうが何倍も面倒臭かった。路面電車なんて都市伝説!知るか!
 実技も最初は苦労した。ハンドルをどれくらい回したら車体が回るのか、を掴むまではカーブの度に大苦戦。左右の間隔は最後まで怪しかった。センターラインをはみ出したり左右にふらついたりという事は少ないにしても、とにかく真ん中を維持する事に必死で右寄せも左寄せも覚束なかった。あと、速度をどれくらい出したら怒られるのかと怯えて、アクセルはほとんど踏めなかったと思う。クリープ現象って便利だよね☆

2.修了検定→仮免許
 初めての検定。緊張がやばい。
 緊張しすぎて心臓がバクバクいってて呼吸困難になるかと思った。(※運転中)
 走り始めた時は手に何か持って書いてた教官が、ある地点からそれをどっかに置いて何も書かなくなった時が一番怖かった。減点されまくって最低ラインを振り切ったのかと思った。走り終わってみたら、注意されたのは最後の停車時の左寄せが甘かった事だけ。(要するに最後まで車幅の感覚は掴めていなかった。)
 学科は余裕。1問誤答。

 余談ながら。修了検定を受けた時、受検者は湯月含め二人だけで、そのもう一人はマニュアル車でした。(※湯月はAT限定)
 人生で初めて乗るマニュアル車は、仮免を取ってもいない教習生の運転する車だった。
 マニュアル車に乗った感想は、発進時にエンジン音が煩い事と、頻繁に車体ががっくんがっくん揺れる事、エンストする事。総じて不便な車だなと思いました。

3.第二段階(路上教習)
 はじめての ほんものの どうろ。
 湯月の通った教習所周辺は、片側一車線でセンターラインは引かれていても細い道が多く、とても外に出て行けるとは思えなかった。実際、教官の合図が無かったら門から出られなかった。ガードレールはどこまでも続くわ、トラックは頻繁に走るわ、自転車と歩行者は定期的に行き来するわ……いきなり難易度 高くないですか。
 路上の思い出は「ガードレール怖い。」

 場内での方向転換。湯月には車庫入れにしか思えなかった、方向転換。これは出来ないと困ると思って頑張った。教え方の上手い教官に当たったのでラッキーだった。
 場内での縦列駐車。縦に並んだ車と車の間に停めなきゃいけないなんて都市伝説その二
 山道。近くの山まで行って連続カーブと長い下り坂を走る練習……だったと思われる。その日、運悪く教習コース上でプチ渋滞が発生、教習車が3台並んで身動きできない事態に。(一方通行道路を走って行ったら合流先の道が混んでいて、一方通行の出口で、教習車3台が連なって立ち往生。その後ろに一般車の列。)運良く、別コースから走って来た別の教習車が合流先の道路に出現、3台まとめて前に入れて一方通行道路から脱出させてくれましたが、その際、先頭がマニュアル車で発進時にエンスト。これがこの日一番の思い出でした。
 高速教習。三人組で行って途中交代、湯月がハンドルを握ったのは高速道路の途中~一般道に降りるまで。他の二人が法定速度の100km/hを出す(片方に至っては100km/h超過して注意を受ける始末)中、チキンの湯月だけが頑なに90km/hを維持する。左側はほぼラインを踏んでいた。

4.卒業検定
 修了検定の時に比べたら、心臓はだいぶリラックスしていたと思う。大きく分けて二種類ある検定コースのうち、運良く得意なほうのコースが当たった。場内は比較的できるほうの方向転換だった。どちらもラッキー。
 トラブルと言えば、コース上で一般車が路上停車していて、しかもその車の車道側に運転者が出て立ち話をしていた事くらい(揉めていたわけではなく、ビジネス的な何かと思われる)。歩道も整備された道路で、何故に車道で立ち話をするのか。検定中の教習車に気付いた途端、二人とも車に乗り込んで走り去って行きました。
 学科テストは余裕。1問誤答。

5.本免試験
 卒業時のテスト結果から見ても不合格は無いと思ったので余裕の受験。
 一番の問題は、現地で昼食を調達しようと思っていたのに、思っていた以上に免許センター周辺に何も無くて絶望した事。センター内に申し訳程度の食堂と売店があったので何とか食糧確保は出来たものの、当然ながら売店は受験生に刈り尽くされ、おにぎり1個買えただけで幸運というレベル。免許を取りに来た筈が、とんだ食のサバイバルだった。
 二番目の問題は、時間を潰す為のアイテムを忘れた事。試験結果待ちの間の手持ち無沙汰がつらい。滅多にしないLINEをして、知人を暇潰しに付き合わせる湯月(あの時はありがとう)。
 結果は余裕。1問誤答。



 まとめ。
 運転をして再認識した自分のチキン度。

 なにはともあれ、田舎で生きる権利を得ました。
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夏休み。

2016年07月30日
生存報告用に残しておいたはずのBlogが最低限の役目すら果たせなくなって一年半……。湯月はまだ生きています。無事です。
 非常に低い頻度で、ロビンさんを囲む会の末席に加えて貰ったりはしていました。貴重な情報更新の機会です。参加する度、周囲の時間の加速に追い付けなくてびっくりします。一周回って第七部が始らないかな。(逃避)

 それはさておき。
 湯月自身の近況ですが、最低の職場が三月で契約切れになり、やっと地獄から解放されました。本当に最低の会社でした。二度と敷地に入りたくない。
 詳しく挙げ連ねたらキリがありませんが、特に我慢ならなかったのは、正規雇用社員と非正規雇用者との差別が横行していたこと。管理職レベルから入社1年足らずの新人まで、息をするように差別行為をしてきます。正社員の選民思想が過ぎるのだと思います。研修でそう教えられたんじゃないかと疑うくらいに過剰でした。
 とにかく正社員様が全てなので、非正規雇用者がどれだけ残業していても無視です。会社が作成した時間外労働時間に関する統計資料にも載せて貰えません。毎日毎日、正社員が全員いなくなった職場で、非正規雇用者だけが残って仕事をしていました。正社員が消えれば自由に出来たので、罵詈雑言垂れ流しの天国タイムではありましたが。そして警備員さんに「施錠したいんですが」と追い立てられる……。
 そんな状況なのに、(以前の日記にも書いたように)「人員削るから一人でやれ」とのたまう会社でした。

 仕事の愚痴はいずれ気が向いたら、また。
 今はストレスフリーで人生の夏休みです。(最近会った、同じ境遇の人の言葉が気に入ったので拝借)

2014年総括:残業。

2014年12月29日
失踪気味だった湯月です。またもBlogの書き込み操作が分からなくなりました。なんてこと。機能の革新についていけない。
 既に一年が終わろうとしているので、この一年の振り返りでもしてみようかと思います。そもそも前回の日記がちょうど一年前って……。


 今年は、もう年明けからヤバイ状態に突入して、春からが地獄だった。詳しく書くとヤバイ(労働基準法的に)から伏せておくけれど、人件費を削りたがっている経営陣がたった数ヶ月で増員を認めるくらいにはヤバかった。
 そういうわけで春から新しい人が来る予定です。
 でもその前に今いる人々がいなくなる確定です。(※任期だから)
 ガッデム!!!
 9月に一人辞めて、11月にまた一人辞めました。年度末までに更に二人辞めます。春からはピチピチの職場です☆
 ちなみに年度末までに辞める二人が、今のところ職場歴が最も長い二人です。ちなみに有期雇用です。既にピチピチ☆
(※正確には正規雇用で一人だけ職場歴がとても長い奴が居るけれど、仕事しないのでノーカウント。)

 湯月は派遣社員さんと基本的に二人一組で仕事をしているのですが、その派遣さんの契約日が今年4月から減ってしまいまして、それで地獄を見ました。契約日が減ったというのは、要するに一週間のうちで限られた曜日しか出勤しないという事です。派遣さん本人の事情もあったけれど、元々はゼロの予定だった。つまり3月いっぱいで契約打ち切り、湯月は一人で頑張れっていう予定だった。
 流石に無理だって上司が訴え続けて、妥協案として週2日だけ続けても良いという事になった。その結果、数ヶ月で増員を決めた。
 …………何も言うまい。


 2014年を振り返ると、ひたすら「残業」の2文字しか思い出せません。
 春先は終電との戦いでした。終電がもっと遅かったら、残業時間はもっと多かったと思います。時間に追われて精査できなかった業務があるので。
 そろそろ引き継ぎに向けて業務マニュアルを作り始めないとマズイかもしれません。来年はマニュアル作りに励みたいと思います。
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